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伝説のG2毎日王冠:サイレンススズカvsエルコンドルパサーvsグラスワンダー

史上最強馬3頭が激突!伝説のG2毎日王冠とは?


日本競馬の血統史を塗り替えたといっても過言ではないサンデーサイレンスの代表産駒といえば、多くの方が無敗の三冠馬ディープインパクトを挙げるでしょう。
しかし、1990年代の産駒と限定すれば、間違いなくサイレンススズカが代表産駒として挙げられると思います。

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この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプトの調整等はおこなっておりません。

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そんなサイレンススズカは、稀にみる天性のスピードを持ち、古馬となってからは5連勝で宝塚記念(G1)を制するなど、終始先頭のまま突き抜けるその勝ち方で多くの競馬ファンを魅了しました。
その中で6連勝となりつつも生涯最後の完走となったのが、1998年の毎日王冠(G2)です。

このレースは、当時の史上最強馬3頭が激突し、のちに”伝説のG2”と呼ばれるレースとなりました。
そこで今回は、史上最強馬3頭が激突!伝説のG2毎日王冠と題して、このレースを振り返りたいと思います。
無敗の外国産G1馬2頭との真っ向勝負で影をも踏ませなかったサイレンススズカ。今でも語り草となっている、その所以を是非とも知ってください。

異次元の脚を持ったスピード馬


サイレンススズカは、1994年5月1日に北海道平取町にある稲原牧場で生を受けました。
稲原牧場といえば、古くはスズカコバンやマチカネタンホイザ、スズカフェニックスなどを生産した牧場で、サイレンススズカの卓越した天性のスピードは稲原牧場で培ったものかも知れません。

そんなサイレンススズカはデビュー戦で2着に7馬身差を付けて圧勝するも、当時はまだ幼い気性だったことで成績が不安定でした。
特に2戦目となった弥生賞(G2)では、スタート前にゲートの下をくぐり抜け出すなど気性の悪さもみせ付けます。

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それでも生まれ持った天性のスピードを活かし、日本ダービー(G1)や天皇賞・秋(G1)、マイルチャンピオンシップ(G1)に出走するまで成長します。
そして、年末には香港国際カップ(G2)に遠征するまでとなりました。

どのレースも勝利するまでには至りませんでしたが、その天性からくるスピードを兼ね備えたサイレンススズカの実力を他馬に騎乗しながら認めていたのが武豊騎手です。

香港遠征で初コンビを組んだ武豊騎手は「この馬は化け物だ。抑えない競馬が向いている」と確かな手応えを感じ、これまで抑える競馬を敷いていたサイレンススズカに対し、気の向く思いのままに走らせました。
すると、年が明けて古馬になると、怒涛の快進撃をみせることになるのです。
まずは、バレンタインステークス(OP)で2着に4馬身差を付けて勝利すると、続く中山記念(G2)でも逃げ切り勝ちを収め重賞初制覇を成し遂げます。
さらに次走の小倉大賞典(G3)では、2着に3馬身差、そして、圧巻なのは古馬となって4戦目の金鯱賞(G2)でした。ここでは、並み入る強豪馬を子供扱いにする大差勝ちをみせたことで逃げて勝つサイレンススズカの強さは本物だと認識されました。

そして、一気の5連勝で宝塚記念までも制し、古馬中距離界の頂点に立ったのです。

マル外扱いだった1歳下の最強馬たち


古馬戦線でサイレンススズカが無類の強さを発揮し席巻している中、1つ下の3歳世代では2頭の外国産馬が話題を集めていました。
その2頭とは、のちに日本競馬界の名馬として取り上げられるグラスワンダーとエルコンドルパサーです。
しかし、この2頭がデビューした1997年は、今と違ってまだ『マル外』の持つ意味が大きく異なります。

ここで少し時代を遡ると、1971年に馬の輸入が自由化されて以降、外国産馬は日本の馬産業にとって脅威になると考えられました。
それは、海外から日本競馬すべてのレースを外国産馬にも開放を要求されることを意味するからです。

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しかし、それを拒む日本の馬産地と海外の綱引きが延々と行われ、その結果1983年までは外国産馬だけではなく、外国からの持込馬、いわゆる海外で種付けを行い、日本で生まれた産駒も混合競走以外には出走できないという時代が続きます。
なお、その時代で有名なのが1976年から1977年にかけて活躍し8戦無敗のまま引退、種牡馬入りした持込馬マルゼンスキーですね。

ただ、その時点ではまだ保護主義の勢いが勝っていましたので、外国産馬や持込馬がG1レースを荒らすようなことはありませんでした。
しかし、その後にJRA側も徐々に開放路線に転じていき混合競走も年々増えることになりますが、それは決して積極的、能動的な開放だったというわけではありません。

こうして様々な事情の中で判断されぎりぎりの選択肢を続ける中、時代の流れとともに2001年、外国産馬にも日本ダービー(G1)などの大レースが開放されることになるのです。
「大外でいい、賞金もいらない。ただ一緒に走らせてほしい」と日本ダービーで懇願するも出走できなかったマルゼンスキーの無念から実に四半世紀が経過しました。

話を戻しますが、外国産馬に開放される前の1997年当時は、ニュージーランドトロフィー(G2)からNHKマイルカップ(G1)が外国産馬にとっての王道路線でした。
しかし、グラスワンダーは1997年に入ると骨折で戦線離脱。
それまで他馬を寄せ付けない強い勝ち方で4戦無敗の2歳王者になったことで早くも”栗毛の怪物”と称されていました。

そして、外国産馬の日本ダービーともいうべきNHKマイルカップを5戦無敗で制したのが、エルコンドルパサーです。
その後、秋に入り2歳王者で無敗のグラスワンダーと世代頂点に立った無敗のエルコンドルパサーがともに休養明け初戦として選んだのが毎日王冠でした。

なぜ、無敗の外国産馬が同じ道を選ぶことになったのか。
それは、近年のように外国産馬が重賞を選べる時代ではなかったことで互いに譲れないレース選択となったのです。
さらに当時、グラスワンダーとエルコンドルパサーの主戦騎手が的場均騎手だったことも注目されました。

的場騎手はどちらの最強馬を選ぶのか――。

ファンは固唾を飲んで見守りました。
そして的場騎手は悩みに悩んだ末にグラスワンダーを選び、エルコンドルパサーは、武豊騎手の同期でもある蛯名正義騎手に託されることになります。

史上最強馬3頭の激突


このような時代背景があったからこそこの最強馬3頭の激突が実現したのかも知れませんが、のちに”伝説G2レース”とされる1998年の毎日王冠は、出走馬9頭といった少頭数でその日を迎えます。

1番人気は目下5連勝中だったサイレンススズカで、単勝オッズは1.4倍。
2番人気は、約10か月振りの実践となった無敗2歳王者のグラスワンダーで3.7倍。
3番人気が5戦無敗のエルコンドルパサーで5.3倍でした。

4番人気だったサンライズフラッグの単勝オッズが32.9倍だったことを考えると、いかにこの3頭が抜けている存在だったかということが分かります。
なお、2番人気と3番人気の差は、主戦だった的場騎手がグラスワンダーを選んだことによるものでした。

刻々と迫る発走時間に対し、東京競馬場では約13万人の観客が大盛り上がりをみせます。
それはまさにG1レース並み、いやそれ以上だったのかも知れません。

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そして、逃げるサイレンススズカがそのまま逃げ切るのか。それとも無敗の2頭がゴール前で捉えられるのかに注目が集まりました。

しかし、迎えたレースでは無敗の外国産馬2頭を子供扱いするほど軽快に逃げたサイレンススズカを、最強馬2頭は捉えることができず、最終的に2馬身半差まで迫ったエルコンドルパサーが2着。
久々の休養明けが影響したグラスワンダーは5着に敗れるという結果に終わります。

ただ、サイレンススズカの凄いところは、2頭との斤量差です。
このレースで59キロを背負ったサイレンススズカに対して、エルコンドルパサーは57キロ、グラスワンダーについては、3歳初戦ということもあって55キロでした。
これだけの斤量差がありながらも影をも踏ませぬ圧勝劇をみせたサイレンススズカは、G2レースでは異例となるウイニングランを行い、次走に最大目標であった天皇賞・秋(G1)に臨むこととなります。
しかし、その結果は皆さんがご存じのとおり『沈黙の日曜日』となってしまったのです。

まとめ


今回は、史上最強馬3頭が激突!伝説のG2毎日王冠について紹介しました。
サイレンススズカのその後は、最大目標だった天皇賞・秋(G1)で最初の1,000メートルを57秒4という驚異的なタイムで通過し、後続馬を寄せ付けない走りを披露します。
ところが、最終コーナー手前で急激に減速。左前脚を粉砕骨折してしまい、競走中止となりました。
競馬にタラレバは禁物ですが、もし無事完走していたら…と思えば思うほど、目頭が熱くなります。

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サイレンススズカが魅せてくれた雄姿は、いつまでも忘れることができません。

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