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サクラ軍団を陰で支えた谷岡牧場とは?

谷岡牧場の軌跡:名馬を生んだ繁殖の力


競馬は、馬主や生産者、調教師に騎手など多くの関係者が存在しなければ成り立ちません。
競走馬の生産に携わる関係者がいなければ元も子もなく、競馬にとって生産者とは1番欠かせない存在だといえます。

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この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。

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そこで今回は、昭和から平成の時代に掛けて、日本の競馬を牽引してきた『サクラ』の冠名を持つ競走馬の生産に尽力した谷岡牧場について紹介します。
多くの名馬を世に送り出しサクラ軍団を陰で支えた谷岡牧場とは、いったいどのような牧場なのでしょうか。

谷岡牧場とサクラの出会い


谷岡牧場は、1934年に北海道沙流郡門別村厚賀に土地を獲得した谷岡増太郎氏が、翌1935年に牧場を開業したことから始まります。
そして、1940年にはサラブレッドの生産馬第1号が生まれました。

競走馬の生産を終え順風満帆にみえましたが、太平洋戦争の敗戦により連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQが施行した農地改革によって、谷岡牧場は多数の土地を手放すことになります。
その後1960年代に入り、2代目の谷岡幸一氏は牧場の立地条件も含めサラブレッドの生産を廃業し、他の農業に転業しようかと検討するほど、サラブレッドの生産がうまく軌道に乗らずにいました。

そんな時に1人の調教師と出会います。

それは、JRAの美浦トレーニングセンターに厩舎を置く境勝太郎調教師でした。

谷岡牧場のイメージ画像
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境調教師は、谷岡牧場の徹底的に管理された豊かな牧草を見て「良い牧場である」と直感したといいます。
痩せこけた土地で育った競走馬は、ひ弱な馬に育ってしまいがちだからです。

また、土地が痩せこけるのは、土地の供給する栄養以上に土地が栄養を吸ってしまっている証しでもあります。
つまり、土地のキャパシティ以上に競走馬が居過ぎると土地が痩せこけてしまい、牧草も粗末なものになっていき、やがてそこで生えた牧草を食べて育った馬はひ弱になるというサイクルが生まれます。

さらに、土地のキャパシティを超えた競走馬を放牧すると、繁殖牝馬が運動量不足になり、その結果お腹の子供が大きくなり、難産につながるおそれもあります。
よって、牧草が豊かに生い茂っていることは、土地における頭数管理を適切に行っている牧場ということがいえるのです。

一見大事に見えない牧草の管理ですが、牧草の質は競走馬にとって非常に大事となってきます。
これは、かつて無敗の2冠馬ミホノブルボンやジャパンカップ(G1)の覇者レガシーワールドなどを管理した戸山為夫調教師なども意見しています。

その後、谷岡牧場は、境調教師の縁で『サクラ』の冠名で有名な全演植オーナーと出会ったことでサラブレッド生産を廃業せず、続けられることになりました。
ちなみに、境調教師が谷岡牧場から購買したダイイチテンホウが最初の庭先取引であり、全オーナーに渡ったことで、谷岡牧場、境調教師、全オーナーのトライアングルが築かれることとなります。

谷岡牧場初の年度代表馬とは?


サクラ軍団の総帥、全オーナーとの出会いをキッカケに改めて馬産に注力していった谷岡牧場。
1968年には生産馬のヒロダイコクが北九州記念(当時OP)を制し、谷岡牧場は開業35年目にして重賞を初制覇を成し遂げます。

そして、同年に谷岡幸一氏は、イギリスでスワンズウッドグローヴという1頭の繁殖牝馬を購入しました。

谷岡牧場のイメージ画像
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このスワンズウッドグローヴこそ、後に谷岡牧場を代表する牝系として、多数の活躍馬を輩出することになります。
そして、そのほとんどの産駒をサクラ軍団が所有することになるのです。
ただ、先に谷岡牧場の名を世に広めたのは、日本が誇る名牝・トウメイでした。

トウメイは、1966年に谷岡牧場で生を受け、牝馬ながら1971年の天皇賞・秋(当時OP)と有馬記念(当時OP)を制し、その年に牝馬として初となる年度代表馬に選出されています。

サクラ軍団の系譜


トウメイが年度代表馬に選出されたと同時に谷岡牧場では、後にサクラ軍団のゴットマザーと称されるスワンズウッドグローヴが、次々と良質な産駒を産みます。

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中山牝馬ステークス(当時OP)を勝った第3番仔になるサクラセダンをはじめ、5頭の産駒がJRAで20勝を挙げました。

さらに孫世代以降も活躍馬が続出し、先述の通りスワンズウッドグローヴの系統は谷岡牧場とサクラ軍団を代表する牝系となっていきます。
それは、生産馬の欠点も包み隠さず明らかにする谷岡幸一氏の心性に打たれた全オーナーが、境調教師が難色を示すような競走馬を含め、生産馬をほぼ丸ごと購買するようになったからです。

そして、サクラ軍団のゴットマザーの代表産駒であるサクラセダンは、1983年の函館3歳ステークス(当時OP)を始め、重賞4勝を挙げた第3番仔のサクラトウコウを皮切りに多数の重賞勝ち馬を輩出します。
1987年には、第7番仔でサクラトウコウの全弟サクラチヨノオーが朝日杯3歳ステークス(G1)を勝利し、翌1988年には日本ダービー(G1)も制覇。
見事、ダービー馬の母となりました。

さらに、同年の暮れには、第8番仔のサクラホクトオーが半兄サクラチヨノオーとの朝日杯3歳ステークス兄弟制覇も達成。
サクラホクトオーは、かつてサクラ軍団の3冠馬候補といわれたサクラロータリー以来のトウショウボーイ産駒の大物と高評価を受けました。

なお、少し蛇足ですが、トウショウボーイは1970年代半ばにテンポイント、グリーングラスと共に日本競馬の一時代を築き『天馬』と称された名馬です。
また、種牡馬としては日高軽種馬農協で供用されたことで非常に安価な種付け料で種付けすることができました。

そして、日本競馬史上3頭目の3冠馬ミスターシービーや阪神3歳ステークス(G1)を制したダイゼンキング、金鯱賞(G2)や北九州記念(G3)を勝利したラブリースターなど、繁殖牝馬の質が悪かったにもかかわらず、わずか2世代で多くの重賞馬を輩出したことで種付け希望が殺到。
相手の繁殖牝馬を審査して、より質の良い繁殖牝馬を選ぶほどの種牡馬となりました。

そして、サクラセダン唯一のトウショウボーイ産駒がこのサクラホクトオーだったのです。
ただ、サクラホクトオーは雨に濡れた馬場を苦手としたためクラシックには縁がなかったのですが、種牡馬として重賞勝ち馬のサクラスピードオーなどを輩出しました。

それらの活躍もあって、1990年代以降もスワンズウッドグローヴの系統からは、サクラセカイオーやサクラエイコウオーといった活躍馬がターフを賑わせます。
また、1995年には、全オーナーが社台ファームから購買したサクラクレアーが現役引退後、谷岡牧場にてサクラチトセオーとサクラキャンドルを輩出。
それぞれ天皇賞・秋(G1)とエリザベス女王杯(G1)を制しました。

翌1996年には、全オーナーがフランスで購買した繁殖牝馬ローラローラが、谷岡牧場にて出産。
1996年の天皇賞・春(G1)と有馬記念を制したサクラローレルです。

そしてサクラローレルは、牧場生産馬としてトウメイ以来2頭目の年度代表馬に選出され、サクラバクシンオーとともにサクラ軍団を代表する競走馬となったのです。

まとめ


今回は、サクラ軍団を陰で支えた谷岡牧場について紹介しました。

谷岡牧場のイメージ画像
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本記事では、日本競馬の一時代を築いたサクラ軍団の黎明期から黄金期までとしましたが、現在も谷岡牧場では生産がされています。
また、サクラ軍団も全盛期に比べると頭数は激減しましたが、今後も谷岡牧場産で『サクラ』の冠名を持つ競走馬が、再びターフを賑わすことに期待したいですね。

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