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608頭が名を継いで529勝、それでもG1は1つだけだった冠名マチカネの26年

608頭に、同じ4文字がついていた


薄曇りの空の下、枯れ色の芝コースを正面から走ってくる競走馬の馬群のイメージ
ℹ AI生成
この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。

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名付けたのは一人の馬主です。1966年に馬主登録をして、亡くなる2010年まで40年以上、中央に馬を送り続けました。

1986年から2011年までの26年間に、608頭のうち465頭が中央で5908回出走し、529勝を挙げています。着順のついたレースに限れば勝率は9.0%。同じ期間の中央全体が7.8%ですから、平均を上回る一群でした。

ところがG1になると、45戦して1勝だけです。3着は6回あるのに、2着は26年間で一度も出ていません。
その1勝が、1997年の菊花賞を勝ったマチカネフクキタルでした。

目次

「マチカネ」はどこから来た名前か


冠名の主は細川益男さん。1924年生まれの実業家で、粉体機械のメーカーであるホソカワミクロンを1961年から社長として率い、1995年に会長へ退きました。馬主登録は1966年、イギリスで手術を受けた際に担当医から勧められたのがキッカケだったと伝わります。

「マチカネ」は、旧制浪速高等学校のあった大阪府豊中市の待兼山から採られました。細川さんが学んだ場所の地名です。ほかに自社名から採った「ミクロン」も冠名として使っています。
つまりこの4文字は縁起担ぎでも語呂合わせでもなく、出身校のあった丘の名前でした。もっとも、マチカネフクキタル、マチカネワラウカド、マチカネタンホイザと並んでいく下の名前のほうは、およそ地名の慎ましさとは無縁です。

608頭、5908回の出走


馬名が「マチカネ」で始まる馬を馬名登録から拾うと608頭。生年は1977年から2007年までの31世代にわたります。馬名登録の記録が残るのが1977年生まれからなので、それより前の世代がいたかどうかまでは追えません。
このうち中央競馬のレース記録が残る1986年以降に実際に出走したのは465頭で、出走回数は5908、勝ち星は529でした。出走取消と除外は数に入れていません。
※本記事のデータは編集部による独自集計です。

期間 出走 走った頭数 勝利
1986〜1990年968103頭85
1991〜1995年1,104129頭106
1996〜2000年1,847155頭171
2001〜2005年1,339134頭108
2006〜2011年65066頭59
26年通算5,908465頭529

※「走った頭数」は各期間に出走した実頭数です。期をまたいで走った馬は各期間で数えるため、5期間の合計(587頭)ではなく重複を除いた465頭が通算値になります。

一群がいちばん厚かったのは1996年から2000年です。5年で1847回走って171勝。生年で数えても1992年から1994年生まれの3世代が94頭で最も厚く、その馬たちが現役だった時期と重なります。1年間に出走した頭数も、多い年は60頭を超えました。

勝率のほうも悪くありません。着順のついた5881回のうち529勝で9.0%。同じ1986年から2011年の中央全体は114万3349回に対して8万8919勝、7.8%です。差は1.2ポイント。頭数を絞らずに26年続けて平均を上回っているので、走らせ方が雑だったわけではありません。
2着508回、3着511回。3着以内は1548回を数えました。

ここまでは、中央の平均を少し上回る馬主の記録です。重賞まで絞り込むと、この数字はまるごと崩れます。

G1だけが遠かった


グレードで割ると、G1の行だけ様子が違います。障害競走を除いた、中央の平地重賞だけを対象にしました。

グレード 出走 頭数 1着 2着 3着
G14519頭106
G28335頭9104
G310537頭498

G2では83回走って9勝、2着が10回あります。G3も105回で4勝、2着9回。取りこぼしはあるにせよ、勝ち負けの圏内にはきちんと入っています。
G1の行だけ、真ん中が空きます。45回走って1勝、3着が6回、その間の2着がゼロ。

26年で1度も2着がないというのは、確率のうえではやや珍しい形です。単純に考えれば、3着を6回拾える一群なら、そのいくつかは2着に転がってよさそうなものでした。

G1で3着に入った6回の内訳はこうです。1986年桜花賞のマチカネエルベが12番人気での3着、1988年エリザベス女王杯のマチカネイトハンが8番人気で3着。1992年菊花賞はマチカネタンホイザが3番人気で3着。1999年朝日杯3歳ステークスと翌2000年NHKマイルカップでマチカネホクシンが連続して3着に入り、どちらも武豊騎手が乗っています。最後が2002年の東京優駿、6番人気のマチカネアカツキがデザーモ騎手とダービー3着。
12番人気、8番人気、6番人気と、人気薄で飛び込んだ3着が半分を占めます。上位人気で堂々と押し切った1着はフクキタルの菊花賞だけでした。

マチカネタンホイザがG1へ向かった14回


雪の残る冬の馬場で、白い息を吐きながら静かに佇む鹿毛の競走馬のイメージ
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その壁をいちばん長く叩き続けたのがマチカネタンホイザです。ワーグナーの歌劇から採った名前を持つ牡馬で、1991年9月15日の中京、1700mのデビュー戦を武豊騎手で勝ち上がりました。2番人気でした。

中央での通算は32戦8勝。うち重賞が4つです。1993年1月のダイヤモンドステークス(東京・芝3200m)、翌月の目黒記念(東京・芝2500m)、1994年1月のアメリカジョッキークラブカップ(中山・芝2200m)、そして1995年7月の高松宮杯(中京・芝2000m)。前の2つは岡部幸雄騎手、AJCCと高松宮杯は柴田善臣騎手が手綱を取りました。
高松宮杯の名前だけ、いまの感覚とずれています。この競走が芝1200mへ短縮されてG1に上がるのは翌1996年、名前が高松宮記念に変わるのはさらに2年あとの1998年、いまの3月下旬へ移るのが2000年です。タンホイザが勝った1995年7月の高松宮杯は、まだ芝2000mのG2でした。

クラシックは3つとも使いました。1992年は共同通信杯4歳ステークス4着で始まり、スプリングステークス5着を挟んで皐月賞が7番人気で7着。NHK杯を3番人気の2着で通過して東京優駿へ進み、8番人気で4着。秋はカシオペアステークス2着から菊花賞へ向かい、3番人気で3着に入りました。
皐月賞7着、東京優駿4着、菊花賞3着。クラシックを追うごとに一つずつ順位を上げています。

年が明けた1993年が、いちばん濃い1年になりました。1月5日の金杯を1番人気で8着と落としたあと、月末のダイヤモンドステークスを1番人気で勝ち、翌月の目黒記念も1番人気で連勝。4月の天皇賞(春)は3番人気で4着。5月のメイステークス、11月の富士ステークスも1番人気で勝って、この年は9戦4勝です。
暮れの2走は対照的でした。11月28日のジャパンカップが13番人気の15着。それが1か月後の有馬記念では、同じ13番人気で4着まで押し上げています。

1994年に入って、鞍上が岡部幸雄騎手から柴田善臣騎手へ替わります。替わった初戦がアメリカジョッキークラブカップで、4番人気での勝利でした。

そしてG1です。3歳暮れの朝日杯3歳ステークスに4着で始まり、皐月賞、東京優駿、菊花賞。古馬になってからも天皇賞(春)を2度、天皇賞(秋)を2度、ジャパンカップを3度、宝塚記念と有馬記念を1度ずつ。数えると14回、G1に名前を登録しています。
最高着順は、3歳秋の菊花賞3着のままでした。57.0kgを背負っての3着。以後3年、そこを超えられないまま現役を終えます。

1994年の秋に、戦績表が2行だけ空白になります。

10月30日の天皇賞(秋)を7番人気で4着。ここまでは平常運転です。続くジャパンカップで、タンホイザの行は着順も人気も空欄になっています。異常区分が立っていて、単勝オッズすら記録されていません。オッズがついていないということは、発走前の段階で競走から外れたことを意味します。
さらに12月25日の有馬記念。こちらも同じく着順なし、オッズなし。区分は出走取消でした。

年末の大レース2つに登録しながら、どちらもゲートに入れていません。この年、タンホイザは6歳。前年の有馬記念には13番人気で出走して4着に粘っており、力が落ちきっていたわけでもありませんでした。
翌1995年、7歳になったタンホイザは高松宮杯を勝ちます。3番人気での勝利で、これが最後の勝ち星になりました。同年12月9日のステイヤーズステークス、中山の芝3600mを7着。32戦目です。

実際に走ったG1は12回。うち5着以内が7回あり、それでいて3着より上へは一度も行けませんでした。惜しい馬、と括ってしまうと取りこぼすものがあります。朝日杯からステイヤーズステークスまで、1600mから3600mまでのどこにでも顔を出し続けた5年間が、勝ち鞍の数だけで残るのは気の毒に思えます。

1997年11月2日、京都の3000m


福が来たる、と書いてフクキタル。中央成績は22戦6勝で、その6勝すべてが1997年、それも3月から11月までの8か月に収まっています。

デビューは1996年11月30日の阪神、2番人気で3着。翌12月に4着。年が明けて3月15日の阪神で初勝利を挙げ、4月の京都で2勝目、7月5日の福島では武豊騎手を背に単勝1.4倍で勝ちました。ここまでは、条件戦を順に勝ち上がってきた1頭にすぎません。
秋に南井克巳騎手へ乗り替わってから景色が変わります。9月14日の神戸新聞杯(阪神・芝2000m)を2番人気で勝ち、10月12日の京都新聞杯(京都・芝2200m)を1番人気で連勝。菊花賞では57.0kgを背負い、3番人気の5.0倍で3000mを制しました。

9月から11月までの3連勝がそのまま神戸新聞杯、京都新聞杯、菊花賞という並びになっています。菊花賞へ向かうトライアルを2つとも勝って本番も勝った馬は、そう多くありません。

勝ったあとが静かでした。翌1998年は3戦して6着、8着、13着。1999年は2着が2回ありましたが勝てず、2000年6月25日の阪神、10番人気で8着。単勝は120.7倍でした。菊花賞のあと11戦して、勝ち星はゼロです。
菊花賞は、デビューから数えてちょうど11戦目でした。前半11戦で6勝、後半11戦で0勝。22戦がきれいに半分で折れています。

勝ったのは、いつも長い距離だった


26年間でマチカネ勢が勝った中央の平地重賞は14。全部で8頭が挙げたものです。

年月 馬名 レース 距離 人気 騎手
1986/3マチカネイシン小倉大賞典G3芝18003河内洋
1993/1マチカネタンホイザダイヤモンドSG3芝32001岡部幸雄
1993/2マチカネタンホイザ目黒記念G2芝25001岡部幸雄
1994/1マチカネタンホイザAJCCG2芝22004柴田善臣
1994/11マチカネアレグロアルゼンチン共和国杯G2芝25002河内洋
1995/7マチカネタンホイザ高松宮杯G2芝20003柴田善臣
1997/9マチカネフクキタル神戸新聞杯G2芝20002南井克巳
1997/10マチカネフクキタル京都新聞杯G2芝22001南井克巳
1997/11マチカネフクキタル菊花賞G1芝30003南井克巳
1998/12マチカネワラウカド東海ウインターSG2ダ23002石橋守
2000/1マチカネキンノホシAJCCG2芝22003岡部幸雄
2000/11マチカネキンノホシアルゼンチン共和国杯G2芝25003岡部幸雄
2006/3マチカネオーラ中京記念G3芝20005川田将雅
2009/9マチカネニホンバレエルムSG3ダ18002北村宏司

14勝のうち12までが2000m以上です。1800m以下は、最初の小倉大賞典と最後のエルムステークスの2つだけ。2400mを超える勝ち鞍が5つあり、うち3200mと3000mが1つずつ入ります。

レース名にも癖が出ました。アルゼンチン共和国杯を2勝、アメリカジョッキークラブカップを2勝。どちらも東京と中山の長距離ハンデ戦、あるいは中距離の古馬重賞で、春秋のG1シーズンからは半歩ずれた場所にあります。この2つと目黒記念、ダイヤモンドステークスを足すと6勝で、14勝の4割強を占めました。

26年でスプリント重賞の勝ち鞍はありません。マイル戦もゼロです。長い距離を淡々と走る馬を、細川さんは繰り返し送り出していました。
中央の平地G1で3000m以上あるのは、菊花賞と天皇賞(春)の2つだけです。26年でただ一度届いたG1が、そのうちの一方でした。

2010年の春


夕方の光が差し込む無人の厩舎の通路と、扉の開いた空の馬房のイメージ
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この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。

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細川さんは2010年3月31日に85歳で亡くなりました。
出馬表の馬主欄は、その直後から動いています。2010年4月までマチカネ名義の登録者は一人でしたが、5月以降に走った現役馬は、順に別の馬主の名前へ切り替わっていきました。

もっとも、頭数のほうはもっと前からガクッと減っています。生年で数えると2003年生まれが16頭、翌2004年が7頭。以後ふた桁に戻らないまま、2007年生まれの6頭が最終世代になりました。細川さんが最後に名前をつけたのが、この6頭です。

中央に残ったマチカネは、2011年には4頭。14回ゲートへ入って、勝ち星はありませんでした。締めくくりは9月4日です。

よくある質問


Q. 冠名「マチカネ」の由来は何ですか?
地名です。大阪府豊中市に待兼山(まちかねやま)という丘があり、そこには馬主だった細川益男さんの母校、旧制浪速高等学校が置かれていました。ホソカワミクロンという粉体機械メーカーを率いた人で、社名から採った「ミクロン」も冠名として併用しています。縁起担ぎの当て字ではありません。

Q. マチカネの冠名を持つ馬は全部で何頭いたのですか?
馬名登録の側から数えると608頭、生年でいえば1977年から2007年までの31世代分にあたります。ただし全頭が中央のターフに立ったわけではなく、レース記録が残る1986年以降に実際に出走したのは465頭でした。世代あたりの頭数は20頭前後が標準で、最も多い1992年生まれで33頭です。

Q. マチカネでG1を勝った馬はいますか?
マチカネフクキタルの1997年菊花賞、この1回だけです。3番人気の単勝5.0倍で、南井克巳騎手が乗っていました。26年で45回G1に出走した計算になりますが、残る44回で最も良かったのが3着(6回)。2着が一度も出ていないのが、この一群の変わったところです。

Q. マチカネの馬はどんな距離で走っていたのですか?
長いほうです。中央で挙げた重賞14勝を距離で並べると、2000m以上が12勝を占め、1800m以下は2勝しかありません。2400mを超える勝ち鞍も5つあります。26年でスプリント重賞とマイル重賞の勝ち星はゼロで、代わりにアルゼンチン共和国杯とアメリカジョッキークラブカップを2つずつ勝っています。

Q. マチカネの冠名はいつ中央から消えたのですか?
2011年9月4日が中央での最後の出走日です。馬主の細川益男さんが2010年3月31日に85歳で亡くなり、その年の5月以降に走った現役馬から順に、出馬表の馬主欄が別の名前へ変わっていきました。最後の1年となった2011年に残っていたのは4頭で、14回走って勝ち星はありません。

まとめ


1997年11月2日、京都の芝3000m。3番人気のマチカネフクキタルが、最初にゴール板を通過しました。この馬はこのあと11戦しますが、勝ち鞍は増えていません。

待兼山の名を持った馬が中央のゲートへ入るのは、この14年後、2011年9月4日が最後になりました。その日の出馬表の馬主欄に、細川さんの名前はもうありません。

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