岩田望来が初めて勝った日、父の岩田康誠も同じレースで負けていた
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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2019年3月2日、阪神競馬場の1レース。18歳の岩田望来が初めてJRAのゲートに入りました。1番人気のルプレジールに乗って4着です。
同じレースの6番人気に、父の岩田康誠が乗っています。8着でした。
そこから2026年8月30日まで、この父子が同じレースに顔をそろえたのは1099回になります。父が上位に来たのが509回で、息子が上位に来たのが590回でした。年単位の勝ち越しが入れ替わったのは2021年です。
中央の通算勝率は康誠が11.38パーセント、望来が11.96パーセントになっています。騎乗数にはまだ3倍近い差があるのに、率だけが先に逆転しました。
先に動いたのは年間の勝ち星でした。同じレースでの上下がその翌年、勝率はさらにあとです。三つが一度に入れ替わったわけではありません。
岩田康誠は1974年3月12日生まれ。岩田望来は2000年5月31日生まれで、望来は康誠の次男にあたります。年の差は26歳と2か月。
二人とも所属は栗東で、2026年9月の時点でどちらも現役です。
康誠のJRA騎手免許の発行日は2006年3月1日です。ところがJRAでの初騎乗は1999年11月7日、京都の5レース。イシヤクモンドで3番人気に推されて5着でした。免許の日付より6年4か月も早く、この人は中央のゲートに入っていることになります。
からくりは所属です。この間の康誠は園田の騎手で、地方に籍を置いたまま中央のレースに乗っていました。地方の騎手が中央に乗るには、その競走が交流枠として開かれているか、短期免許を取るかのどちらかが要ります。つまり毎週乗れるわけではなく、乗れる日に呼ばれて乗る立場です。数えると1187騎乗して137勝、勝率は11.54パーセントでした。
中央へ移ったあとは15197騎乗で1727勝、勝率11.36パーセントです。所属が変わっても率はほとんど動いていません。呼ばれた日だけ乗っていた6年間と、毎週乗るようになってからの20年。乗る本数も相手関係も違うのに、勝つ割合だけが動きませんでした。
JRAでの初勝利は2000年9月16日、阪神の7レースでバンブーウタヒメに乗ってのものでした。単勝108.7倍の15番人気です。初騎乗から314日かかっての1勝目が、この一撃でした。
なお、園田や姫路での成績そのものは手元のデータに部分的にしか残っていないので、「地方で何勝」という数字はこの記事では出しません。
望来のJRA騎手免許は2019年3月1日。その翌日には、もうゲートに入っています。
初騎乗は2019年3月2日の阪神1レースで、ルプレジールに乗って1番人気の4着でした。このレースには父の康誠もジュンサロベツで乗っていて、6番人気の8着に終わっています。
初勝利は同じ月の30日、阪神の5レースです。5番人気のポップフランセで勝ちました。そしてこのレースにも、父がいます。1番人気のスパンキーワールドに乗って7着。
息子が最初にJRAで勝った日、父は同じダート1800メートルを、いちばん人気の馬で走って掲示板を外しています。
デビューの週だけで、二人が同じレースに乗った回数は8回ありました。デビュー戦から偶然が続いたというより、栗東の同じ厩舎群に乗っている以上そうなる、というほうが近いでしょう。
父子それぞれが最初に勝った4つの節目を、日付ごと並べます。いずれも初出走ではなく初勝利の日です。
※本記事のデータは編集部による独自集計です。
| 岩田康誠 | 岩田望来 | |
|---|---|---|
| JRA初騎乗 | 1999年11月7日 京都5R イシヤクモンド(3番人気5着) | 2019年3月2日 阪神1R ルプレジール(1番人気4着) |
| JRA初勝利 | 2000年9月16日 阪神7R バンブーウタヒメ(15番人気) | 2019年3月30日 阪神5R ポップフランセ(5番人気) |
| 重賞初勝利 | 2002年9月8日 セントウルS ビリーヴ(1番人気) | 2022年2月19日 京都牝馬S ロータスランド(5番人気) |
| JRA GⅠ初勝利 | 2004年10月24日 菊花賞 デルタブルース(8番人気) | 2024年12月8日 阪神JF アルマヴェローチェ(5番人気) |
初騎乗から重賞初勝利までにかかった日数が、二人で49日しか違いません。康誠が1036日、望来が1085日です。
初勝利までの時間は大きく違いました。康誠は314日かかり、望来は28日で届いています。ここだけ見ると息子のほうがずっと速いのですが、重賞の入口には同じくらいの時間をかけて着いています。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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父子が同じレースに乗ったとき、どちらが前にいたか。これは着順を突き合わせるだけで機械的に出せます。
2019年3月2日から2026年8月30日まで、両者に着順のついたレースは1099回ありました。父が上位に来たのが509回で、息子が上位に来たのが590回。息子の53.7パーセントです。
1099回を、年ごとに割ってみます。
| 年 | 同一レース | 父が上位 | 子が上位 | 父が1着 | 子が1着 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2019年 | 124 | 75 | 49 | 14 | 6 |
| 2020年 | 146 | 76 | 70 | 15 | 7 |
| 2021年 | 206 | 102 | 104 | 21 | 19 |
| 2022年 | 118 | 49 | 69 | 9 | 14 |
| 2023年 | 146 | 58 | 88 | 10 | 23 |
| 2024年 | 108 | 51 | 57 | 10 | 14 |
| 2025年 | 166 | 71 | 95 | 11 | 22 |
| 2026年(8月30日まで) | 85 | 27 | 58 | 0 | 10 |
| 通算 | 1,099 | 509 | 590 | 90 | 115 |
入れ替わりは2021年です。102対104。わずか2回の差で、その年から息子が前に出ました。以後2026年まで6年続けて息子が上回っています。
2026年の欄には0が一つあります。8月30日までの85回のうち、父が1着に来たレースはまだありません。
ついでに、二人でワンツーを決めたレースも数えてみました。18回あります。父が勝ったのが8回で、息子が勝ったのが10回でした。
このうち2021年10月30日の阪神が変わっていて、4レース、6レース、7レースと、1日に3回も父子でワンツーになっています。4レースは父が9番人気のマルブツプライドで勝ち、1番人気の息子が2着。6レースと7レースは息子が勝って父が2着でした。
18回はすべて条件戦か特別競走で、重賞は一つも含まれていません。二人がそろって上位を占めるのは、だいたい平場の下位クラスです。
人気の並びもばらばらです。9番人気の父が1番人気の息子を負かした日があり、8番人気の息子が3番人気の父を負かした日もあります。
同じ馬に乗った例も調べました。父子の両方がJRAで手綱を取った馬は519頭で、そのうち両方が勝ち星を挙げた馬は19頭です。
519分の19。同じ厩舎の馬に代わる代わる乗っていても、二人そろって勝てる馬はそれほど多くありません。
着順のついた騎乗だけを分母にして、中央の通算成績を並べます。
| 騎乗 | 1着 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 岩田康誠(1999年〜) | 16,384 | 1,864 | 11.38% | 22.36% | 32.94% |
| 岩田望来(2019年〜) | 5,851 | 700 | 11.96% | 21.84% | 32.13% |
勝率は息子が上です。ただし連対率と複勝率は父がわずかに上回っています。
勝ち切る率は息子、2着3着まで拾う率は父。0.5ポイント前後の小さな差ですが、向きは逆を指しています。
年間の勝ち星で息子が父を初めて上回ったのは、デビュー2年目の2020年でした。望来76勝に対して康誠50勝。2021年からは6年続けて息子が上です。
一方、直接対決で息子が上回ったのは2021年から。年間勝利数の逆転より1年遅れています。
勝ち星の総数が先に入れ替わり、同じレースでの上下がその翌年に入れ替わった、という順番でした。この順序は偶然ではなく、乗る鞍数の差が先に効いたと捉えるのが正確です。息子の騎乗数が父を抜いたのは2020年で、勝ち星の逆転と同じ年に起きています。
父の騎乗数は2015年の1008鞍がピークで、そこからほぼ一貫して減っています。2023年は401鞍まで落ちました。年間最多勝は2007年の145勝。
息子の年間最多勝は2023年の113勝です。2026年は8月30日の時点で99勝を挙げています。
康誠は年間の勝利数で全国の2位に3度入っています。2007年の145勝、2011年の131勝、2014年の136勝。
そして首位には、一度も届いていません。
2026年は8月30日の時点で、望来が99勝。同じ99勝でルメールが並んでいて、2着の数が望来67、ルメール59です。3番手は松山弘平の88勝。
勝利数だけを見れば、息子は父が届かなかった位置に並びました。
ただし、これは8月30日までの途中経過です。年末にどうなっているかは誰にも分かりませんし、勝ち星が同数のときにJRAがどちらを上に置くかも確かめていません。
同じ2026年、父のほうは8月30日時点で14勝の47位です。
年別の順位を追うと、康誠は2006年から2014年までほぼ一桁に居続けて、2016年に10位、2019年に12位、2023年には46位まで下がっています。息子が5位に入った2023年が、父にとってはいちばん低い年でした。
重賞の内訳はこうなります。康誠がGⅠ25勝、GⅡ30勝、GⅢ61勝の計116勝。望来がGⅠ1勝、GⅡ4勝、GⅢ19勝の計24勝です。
数の差はまだ大きく開いています。父が20年かけて積んだものと、息子が7年で積んだものを並べているので当然ではあります。
ひとつ補足しておくと、二人ともJRAの障害競走には一度も乗っていません。障害の重賞を取りこぼす心配がないので、上の116勝と24勝はそのまま平地の数字として読めます。
ここまでの数字はJRAだけのものです。二人には地方交流や海外のGⅠ級タイトルもあり、それらを足した数字が使われることもあります。ただし何を数えるかで合計が変わるうえ、手元のデータは海外の収録が完全ではありません。この記事ではJRAの25勝と1勝で通します。
その地方交流のほうに、一つだけ妙な符合があります。
康誠が2014年11月3日、盛岡でJBCレディスクラシックをサンビスタで勝ちました。望来が同じJBCレディスクラシックを、同じ盛岡で、同じ11月3日にヴァレーデラルナで勝っています。2022年、8年違いの同月同日です。
望来にとって最初のGⅠ級タイトルは、この2022年の盛岡です。JRAのGⅠより2年1か月早く、地方のダートで先に手が届きました。
JRAで父子ともに騎手だった組は、少なく見積もっても20組以上あります。角田家、菊沢家、木幡家、武藤家、大江原家。名前を挙げていけばきりがありません。
ところが「父子の両方がJRAのGⅠを勝った」という条件を足すと、途端に減ります。
GⅠを1勝以上している騎手を姓でまとめると、2人以上いる姓は13あります。ただし中身を確かめると、武家と藤岡家は兄弟、佐藤・吉田・北村・石橋あたりは血縁のない同姓でした。
1984年以降のデータで確認できた範囲では、残ったのは3組です。
| 組 | 親 | 子 | 親のGⅠ | 子のGⅠ |
|---|---|---|---|---|
| 横山家 | 横山典弘 | 横山和生・横山武史 | 28勝 | 和生4勝・武史6勝 |
| 岩田家 | 岩田康誠 | 岩田望来 | 25勝 | 1勝 |
| 今村家 | 今村康成 | 今村聖奈 | J・GⅠ1勝 | 1勝 |
今村家だけ、少し性質が違います。父の康成が勝ったのは2001年の中山大障害、つまり障害のJ・GⅠです。娘の聖奈は2026年の優駿牝馬をジュウリョクピエロで勝っていて、こちらは平地のGⅠ。
平地のGⅠだけで数えると今村家は消えてしまいます。今村家を入れるかどうかは、障害を数えるかどうかで決まります。
それから、この数え方には期間の限界があります。集計に使ったデータは1985年から1986年あたりが収録の起点で、それ以前に引退した騎手の成績は入っていません。武邦彦、横山富雄、福永洋一、鹿戸明。いずれも1985年2月までに騎手を離れているので、この4人の重賞やGⅠの数は本記事では扱えないのです。
ですから「史上初」とも「史上何組目」とも書けません。書けるのは、グレード制が始まった1984年以降のデータで確認できる範囲では、二人ともJRAのGⅠを勝っている家が横山家と岩田家、親子まで広げれば今村家が加わる、というところまでです。
Q. 岩田康誠と岩田望来はどういう関係ですか?
父と息子です。望来は康誠の次男にあたります。康誠が1974年3月12日生まれ、望来が2000年5月31日生まれで、年の差は26歳と2か月。二人とも栗東所属で、2026年9月の時点でどちらも現役の騎手です。望来がJRAで初めて騎乗した2019年3月2日の阪神1レースには、父の康誠も同じレースに乗っていました。
Q. 岩田康誠と岩田望来は同じレースに何回乗っていますか?
2019年3月2日から2026年8月30日までで1099回です。両者に着順がついたレースだけを数えた数字で、父が上位に来たのが509回、息子が上位に来たのが590回でした。年ごとの勝ち越しは2021年に入れ替わり、その年は102対104と2回差でした。以後2026年まで6年続けて息子が上回っています。
Q. 岩田望来は父の岩田康誠より強いのですか?
指標によって答えが変わります。中央の通算勝率は康誠が11.38パーセント、望来が11.96パーセントで息子が上ですが、連対率と複勝率は父がわずかに上回っています。重賞は康誠が116勝、望来が24勝で、GⅠは25勝と1勝。勝ち星の総数はまだ父が大きく上です。一方で年間の勝利数は2020年に息子が父を追い越し、以後は差が開いています。
Q. 岩田康誠はリーディングジョッキーになったことがありますか?
本記事の集計では、年間の勝利数で全国1位になった年はありません。2位が3回で、2007年の145勝、2011年の131勝、2014年の136勝です。なお2026年は8月30日時点で息子の望来が99勝と首位に並んでおり、同じ99勝のルメールとは2着数で差がついている状態です。年末の結果はまだ分かりません。
Q. 親子でJRAのGⅠを勝った騎手は他にいますか?
本記事で確認できた1984年以降の範囲では、横山家と今村家です。横山典弘が28勝、息子の横山和生が4勝、横山武史が6勝。今村家は父の康成が2001年の中山大障害、つまり障害のJ・GⅠを勝っており、娘の聖奈が2026年の優駿牝馬を勝っています。ただし今村家は平地のGⅠだけで数えると外れるため、障害を含めるかどうかで答えが変わります。また集計に使ったデータは1985年前後より前の成績を含まないため、それ以前に引退した騎手は数えられていません。
岩田康誠と岩田望来が同じレースに乗ったのは1099回で、父が上位に509回、息子が上位に590回来ています。年ごとの勝ち越しが入れ替わったのは2021年の102対104でした。年間の勝利数はその1年前、2020年に76勝対50勝で息子が先に追い越しています。
中央の通算勝率は康誠が11.38パーセント、望来が11.96パーセントでした。勝ち切る率は息子が上で、連対率と複勝率は父がわずかに上という分かれ方をしています。重賞は116勝と24勝、GⅠは25勝と1勝で、総数はまだ父が大きく上です。
2026年は8月30日時点で望来が99勝。康誠が3度2位まで行って届かなかった勝利数の首位に、息子が並びました。二人ともJRAのGⅠを勝っている家は、1984年以降のデータで確認できた範囲では横山家と岩田家でした。親子まで広げれば今村家が加わります。
1099回目は、新潟の9レースでした。1着ヴェントゥーラに息子、2着ラトルシェに父。
1100回目のゲートは、たぶん今年のうちに開きます。そのときも二人とも無事に帰ってきてくれたらと、それだけを願っています。