池江泰郎のディープインパクトと池江泰寿のオルフェーヴル 三冠馬を父子で管理したのはこの家だけ
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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70歳の定年で、池江泰郎は栗東を出ました。2011年2月28日のことです。
同じ年の4月24日、東京の皐月賞を勝ったオルフェーヴルを管理していたのは、息子の池江泰寿でした。
父は2005年にディープインパクトで牡馬クラシック三冠を制しています。子は2011年にオルフェーヴルで同じことをしました。
JRAの三冠馬は牡馬8頭と牝馬7頭の計15回。管理した調教師は延べ15人、実数で14人です。この14人をひとりずつたどると、親か子がJRA調教師という家は9組ありました。
それでも、父子そろって三冠馬を送り出した家はひとつしかありません。
2011年2月28日付で引退したのは、池江泰郎だけではありません。栗東からは坂口正大、須貝彦三、高橋成忠、野元昭、吉岡八郎を加えた6人が同じ日に去りました。美浦の郷原洋行を入れて7人です。
厩舎は継承ではなく、定年による解散でした。管理していた馬はその日のうちに散っています。
池江泰郎は1941年3月1日生まれ。父は太平洋戦争中にレイテ島の戦いで戦死し、母子家庭で育ちました。五人兄妹の四男です。次兄の池江敏郎は厩務員になり、中央に在籍していた頃のオグリキャップを担当しています。
泰郎自身の出発点は騎手でした。1957年に騎手見習として京都の相羽仙一厩舎へ入り、1959年に免許を取得。1978年2月に引退するまで、JRA公式の記録で3276戦368勝を挙げています。
所属は相羽仙一、橋本正晴、そして浅見国一と移りました。相羽が亡くなったあと、その厩舎を継いだのが浅見です。
調教師免許は騎手を辞めた1978年に取得しています。初出走が1979年10月7日、初勝利は翌1980年2月9日のメジロカペラでした。
GⅠの1つ目まではさらに6年かかります。1986年の菊花賞、6番人気のメジロデュレンです。
その後の17勝の並びには、はっきりした偏りがあります。1990年から1993年まではメジロマックイーンで4勝、2005年から2006年まではディープインパクト1頭で7勝。
17勝のうち8勝の鞍上が武豊でした。
そして最後のGⅠが2006年12月24日の有馬記念、ディープインパクトの引退レースになりました。ここから調教師を退くまでの4年2か月、泰郎はGⅠを勝っていません。
池江泰寿が調教師免許を取ったのは2003年です。初出走と初勝利はどちらも2004年3月20日、阪神5レースのソニックサーパスでした。父が引退する7年も前に、自分の厩舎を構えています。
父子は2004年から2011年2月まで、栗東で別々の厩舎を7年ほど同時に持っていました。
泰寿の経歴もたどっておきます。1993年4月に競馬学校の厩務員課程へ入り、同年10月から栗東の浅見国一厩舎で厩務員。12月に調教助手。
父が騎手時代の最後に所属していた厩舎と同じです。
父・池江泰郎の厩舎に移るのは1994年6月から。1995年12月にイギリスのマイケル・スタウト厩舎、1996年10月にアメリカのニール・ドライスデール厩舎へ、いずれも調教助手として渡っています。
2011年2月28日、父の厩舎が解散した日の転厩先は分かれました。トゥザグローリー、バーディバーディ、ダノンバラードの3頭が池江泰寿厩舎へ。ヒカルアマランサスは高野友和厩舎へ移っています。
ディープインパクトを担当していた調教助手の池江敏行は泰郎の甥にあたりますが、この人も高野友和厩舎へ移りました。
父の厩舎にいた馬とスタッフが、まとめて息子の側へ移ったわけではありません。
牡馬のクラシック三冠は皐月賞・東京優駿・菊花賞の3つ。牝馬三冠は3冠目が年代によって違います。1970年から1975年がビクトリアカップ、1976年から1995年がエリザベス女王杯、1996年以降が秋華賞。ビクトリアカップだった6年間に達成馬はいません。
次の表は、その三冠を達成した15頭と管理調教師です。
※本記事のデータは編集部による独自集計です。
| 年 | 馬 | 三冠の別 | 管理調教師 |
|---|---|---|---|
| 1941 | セントライト | 牡 | 田中和一郎 |
| 1964 | シンザン | 牡 | 武田文吾 |
| 1983 | ミスターシービー | 牡 | 松山康久 |
| 1984 | シンボリルドルフ | 牡 | 野平祐二 |
| 1986 | メジロラモーヌ | 牝(3冠目はエリザベス女王杯) | 奥平真治 |
| 1994 | ナリタブライアン | 牡 | 大久保正陽 |
| 2003 | スティルインラブ | 牝 | 松元省一 |
| 2005 | ディープインパクト | 牡 | 池江泰郎 |
| 2010 | アパパネ | 牝 | 国枝栄 |
| 2011 | オルフェーヴル | 牡 | 池江泰寿 |
| 2012 | ジェンティルドンナ | 牝 | 石坂正 |
| 2018 | アーモンドアイ | 牝 | 国枝栄 |
| 2020 | コントレイル | 牡 | 矢作芳人 |
| 2020 | デアリングタクト | 牝 | 杉山晴紀 |
| 2023 | リバティアイランド | 牝 | 中内田充正 |
延べ15人、実数は14人です。国枝栄だけがアパパネとアーモンドアイで2回入っています。
この14人の家族をひとりずつ調べました。親か子がJRA調教師だった人は9組ありました。
| 三冠馬を管理した調教師 | JRA調教師だった親または子 | その人の三冠馬 |
|---|---|---|
| 田中和一郎(セントライト) | 長男・田中和夫 | なし |
| 武田文吾(シンザン) | 子・武田博 | なし |
| 松山康久(ミスターシービー) | 父・松山吉三郎 | なし |
| 野平祐二(シンボリルドルフ) | 父・野平省三 | なし |
| 奥平真治(メジロラモーヌ) | 父・奥平作太郎 | なし |
| 大久保正陽(ナリタブライアン) | 父・大久保亀治/子・大久保龍志 | なし |
| 松元省一(スティルインラブ) | 父・松元正雄 | なし |
| 石坂正(ジェンティルドンナ) | 子・石坂公一 | なし |
| 池江泰郎(ディープインパクト) | 子・池江泰寿 | オルフェーヴル(2011) |
9組のうち8組は、片方しか三冠馬を管理していません。
松山吉三郎は1950年に免許を取り1994年に引退するまで9157戦1358勝を挙げた人で、この勝利数はJRAの調教師で3番目です。ダービーも1962年のフエアーウインと1986年のダイナガリバーで2勝しています。それでも三冠馬は管理していません。
野平省三には、調教師として重賞38勝という記録が残っています。騎手だった1940年には、現在の皐月賞にあたる横濱農林省賞典四歳呼馬をウアルドマインで勝っている。この人も三冠馬は持っていません。
紛らわしいものが2つあります。
コントレイルの矢作芳人の父・矢作和人は調教師ですが、大井競馬場の所属で、JRAの調教師ではありません。
リバティアイランドの中内田充正は実家が滋賀県の競走馬育成牧場で、調教師の家系ではありません。
この2つは「親子」に数えていません。奥平真治のほうは、父の奥平作太郎がJRAの調教師なので9組に入れています。同じ姓の奥平雅士は実子ではなく娘婿なので、こちらは数えていません。
池江家はどうか。
泰郎の父は戦死しています。この家で調教師になったのは泰郎が最初でした。上の7組が代々の調教師の家であるのに対して、池江家は一代目と二代目しかいません。
その二代で、三冠馬が2頭出ています。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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池江泰郎厩舎にステイゴールドという馬がいました。1994年3月24日生まれで、中央では1996年から2001年まで48戦して5勝しています。
引退後は種牡馬になりました。その産駒がドリームジャーニーとオルフェーヴルです。
2頭は父も母も同じ全兄弟で、母の名はオリエンタルアートといいます。どちらも池江泰寿厩舎の馬でした。
オリエンタルアートの父はメジロマックイーンです。マックイーンは1990年の菊花賞から1993年の宝塚記念までGⅠを4勝した馬で、管理していたのは池江泰郎でした。中央では21戦12勝。
オルフェーヴルの母の父が、泰郎の管理馬にあたります。
泰寿は2016年に菊花賞と有馬記念をサトノダイヤモンドで勝っていますが、この馬の父はディープインパクト。泰郎がGⅠ7勝を挙げた三冠馬です。
メジロマックイーン、ステイゴールド、ディープインパクト。泰郎の管理馬だった3頭が、そろって泰寿の管理馬の血統表に入っています。
重賞の内訳は、二人でこうなります。データベースに入っているのは1985年以降なので、泰郎が初出走を迎えた1979年から1984年までの6年ぶんは、この数字に含まれていません。勝利の欄も全期間の通算ではなく、1985年以降の集計値です。
泰寿のほうは2026年8月時点の途中経過になります。
| GⅠ | GⅡ | GⅢ | 障害重賞 | 重賞計 | 勝利(1985年以降) | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 池江泰郎 | 17 | 18 | 30 | 3 | 68 | 778 |
| 池江泰寿 | 23 | 35 | 40 | 1 | 99 | 927 |
合わせて167勝です。
障害重賞の欄を落としませんでした。泰郎の3勝は2004年に集中していて、しかも小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、京都ハイジャンプの3つをロードプリヴェイル1頭で獲っています。鞍上は3回とも熊沢重文で、3回とも1番人気でした。
泰寿の1勝は2020年8月1日の新潟ジャンプステークス、フォイヤーヴェルクに森一馬が乗っています。
賞の並びは対照的です。
泰寿はJRA賞の最多勝利調教師を2008年と2017年、最多賞金獲得調教師を2011年、2012年、2015年、2017年に受けています。
泰郎のほうは、JRA公式の表彰歴に載っているのが優秀調教師賞(関西)の7回だけ。こちらはJRAの厩舎関係者表彰で、東西別に5位までが対象になる制度です。JRA賞とは別のものになります。
GⅠの数でも、勝利数でも、賞の数でも、子が父を上回っている。三冠を獲った年が2011年だったことを思うと、その年に父が栗東を去っているのは、少し不思議に映ります。
Q. オルフェーヴルに乗っていたのは誰ですか?
池添謙一騎手です。皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念2回・宝塚記念というオルフェーヴルのGⅠ6勝は、すべて池添謙一が乗っています。全兄のドリームジャーニーで勝った2009年の宝塚記念と有馬記念も同じ騎手です。
Q. 池江泰寿厩舎がいちばんGⅠを勝った年はいつですか?
2011年で、1年に5勝しています。オルフェーヴルの皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念に、トーセンジョーダンの天皇賞(秋)が加わります。天皇賞(秋)のトーセンジョーダンは7番人気でした。
Q. 池江泰郎厩舎でいちばん人気薄で勝ったGⅠは何ですか?
2002年の皐月賞で、ノーリーズンが15番人気で勝っています。鞍上はドイル騎手でした。GⅠ17勝のなかで、これがいちばん人気を落としていた1頭になります。
Q. 池江泰寿調教師はどのくらいの距離のGⅠを勝っていますか?
1200mから3000mまで届いています。短いほうは2022年ジャンダルムと2023年ママコチャのスプリンターズステークス、長いほうは2011年オルフェーヴルと2016年サトノダイヤモンドの菊花賞です。
Q. 池江泰郎調教師のGⅠ初勝利はどの馬ですか?
1986年の菊花賞、メジロデュレンです。6番人気で、鞍上は村本善之騎手でした。この馬とは翌1987年の有馬記念も勝っていて、そのときは10番人気です。
池江泰寿がGⅠを最初に勝ったのは、2006年12月10日の朝日杯フューチュリティステークス。ドリームジャーニーでした。
池江泰郎が最後にGⅠを勝ったのは、同じ月の12月24日。有馬記念のディープインパクトです。