「兄より優れた弟など存在しない」はず? 弟・妹がG1馬、自身はG2勝ちの名馬とは?
1980年代に一世風靡した某漫画の中の有名な台詞に「兄より優れた弟など存在しねぇ」とあります。
これは、愚兄が賢弟に言い放ったもので決して、そうとは言い切れないですよね。
そして、それは人間の世界のみならず、競走馬の世界でも同じで、また逆も然りです。
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そこで今回は、1990年代に中長距離戦線で活躍するもG1勝利に手が届かなかったエアダブリンについて紹介します。
まさに「兄より優れた弟など存在しねぇ」と言いたいところですが、妹と弟はG1馬となり、いつしか兄の存在すら薄れてしまったエアダブリンとは、いったいどのような馬だったのでしょうか。
エアダブリンは、父トニービン、母は世界の大種牡馬ニジンスキーを父に持つダンシングキイとの間に1991年に北海道は千歳の社台ファームにて誕生しました。
ちなみに馬名の由来は、冠名の『エア』にアイルランド共和国の首都『ダブリン』です。
そんなエアダブリンが生まれた1991年は、生まれた世代が悪かったといわれる中でもトップクラスで運の悪かった馬に当てはまり、生まれ持って運がなかった世代です。
それは、同世代にシャドーロールの怪物・ナリタブライアンがいたためで、エアダブリンにとっては最大の不運となりました。
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そんな中、エアダブリンは、ダービートライアルの青葉賞(当時G3)を制し、重賞初制覇を成し遂げます。
そして、日本ダービー(G1)では、ナリタブライアンに5馬身離されたものの2着となり、世代トップクラスの実力を披露しました。
また、菊花賞(G1)では、1991年以降、ダービー2着馬が立て続けに菊花賞を勝っていましたので、レオダーバン、ライスシャワー、ビワハヤヒデに続きエアダブリンも続くか注目されました。
それは、怪物・ナリタブライアンが前哨戦でスターマンにまさかの敗北を喫してしまったからかも知れません。
しかし、蓋を開けてみると、結果は約8馬身離されての3着に敗れました。こうして、同世代に生まれた怪物には勝つことができず、エアダブリンのクラシック戦線は幕を閉じました。
ただ、次走のステイヤーズステークス(当時G3)で母ダンシングキイから受け継ぐステイヤーの資質が開花します。
レースでは、先行押し切りの横綱相撲で上がり3ハロンも最速の末脚でまとめて交わし、3分41秒6の日本レコードで圧勝しました。
しかもこれが秋4戦目とあって、それなりに疲労が蓄積されていたであろう中での日本レコードは、30年以上経った今でも破られていません。
年が明けて古馬になると、長距離重賞・ダイヤモンドステークス(G3)も快勝し、抜群の長距離適性を披露したエアダブリン。
その後、同世代の怪物が故障により戦線離脱との大ニュースが世間を騒がせたことでエアダブリンにとっては、千載一遇のチャンス到来と思われました。
しかし、迎えた天皇賞・春(G1)では、歴代屈指の名ステイヤー、ライスシャワーの復活劇の前に5着と敗北を喫してしまいます。これは、素直に勝ち馬が強かったといえます。
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ただ、惜しかったのは、次走の宝塚記念です。
これまで主戦騎手だった岡部幸雄騎手が、タイキブリザードをチョイス。そこでエアダブリンは関西の名手・四位騎手と大一番に挑みますが、結果はダンツシアトルの3着でした。
これは、展開1つで順位が入れ替わった可能性がありましたが、エアダブリンの不運は、この宝塚記念後の屈腱炎発症です。
これによって、2年もの長期休養を余儀なくされます。そして、この空白は、エアダブリンの馬生にとっても痛恨となりました。
しかし、諦めなかった陣営は、約2年の休み明けのメトロポリタンステークス(OP)を2着、次走の目黒記念では、1番人気に支持されるも3着と復活の気配をみせますが、何と再び屈腱炎を患い、引退に追い込まれます。
こうして、京都新聞杯(G2)以外の全14戦で上がり最速3位までに入る脚をみせながらもG1未勝利に終わってしまったエアダブリン。
父は、東京コースの鬼といわれたトニービンですので、もしも、宝塚以降も故障することなく、天皇賞・秋(G1)、ジャパンカップ(G1)と出走できていれば…。と思えば思うほど、不運としか、いいようがありません。
そして、妹や弟たちの活躍を目にすることで、その不運はさらに強さを増すことになるのです。
全15戦5勝、うちG3を3勝し、掲示板を1度も外すことがなかったエアダブリン。また、G1レースでも日本ダービー2着など、堅実な走りで多くの競馬ファンに好印象を残しました。
あと足りなかったのは、G1馬という勲章だけでしょう。これは、怪物と同世代のため、不運だったとしか、いいようがありません。
しかし、持って生まれたエアダブリンの不運はこれだけではなかったのです。
それは、妹や弟たちの活躍です。
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半妹のダンスパートナーは、1995年のオークス(G1)を勝利し、牝馬として世代頂点に立ち、翌1996年には、エリザベス女王杯(G1)も制したことで古馬牝馬の頂点にも輝いた名牝となりました。なお、この時の鞍上は、エアダブリンの主戦騎手となっていた四位騎手で、半兄のエアダブリンは、ちょうど屈腱炎にて療養中でした。
また、同じ1996年には、半弟のダンスインザダークが驚異の末脚を炸裂させ、菊花賞(G1)を制覇しました。長距離適性が強かったエアダブリンにとって、長距離G1は是が非でも欲しかったタイトルですが、それをダンスインザダークが代わりに獲得します。
そして、極めつけは、半妹のダンスインザムードが、2004年の桜花賞(G1)を無敗で制し、2006年にはヴィクトリアマイル(G1)も勝利しました。
もうこの頃には、ダンスパートナー、ダンスインザダークの妹としてダンスインザムードは世間的に認知され、悲しいかな、そこに半兄・エアダブリンの名はありませんでした。
なお、この3頭の妹・弟に共通するのは、父がすべてサンデーサイレンスだったことですが、エアダブリン自身の父はリーディングサイアーにも輝いたトニービンであり、また、血統面も見込まれて、種牡馬入りとなりました。
しかし、これは妹や弟の活躍も後押ししたのだと思います。
現役時代は、ナリタブライアンという怪物と同世代であり、屈腱炎に悩まされながらも堅実な走りを披露し続けたエアダブリン。さらに妹、弟の大活躍により兄としての影を潜めてしまったことは、不運続きの連続でしたが、種牡馬になれたことが唯一の救いだったのかも知れません。
今回は、「兄より優れた弟など存在しない」はず? 弟・妹がG1馬、自身はG2勝ちの名馬・エアダブリンについて紹介しました。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプトの調整等はおこなっておりません。
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当時、エアダブリンを管理した栗東の名伯楽・伊藤雄二調教師は「距離が長いほど良い」とコメントし、また、前述の通り、30年以上経った今でもステイヤーズステークスのレコード記録をもっているエアダブリンの距離適性を考えると、最適距離が3,600メートル以上だったのかも知れません。
仮に日本には創設されていない芝4,000メートルのG1レースが存在すれば…。また、英国のゴールドカップや仏国のカドラン賞などの芝4,000メートルのG1レースに出走していれば…。そう思うと、海外の長距離G1タイトルを獲得できたかも知れません。
そして、その時に「兄より優れた弟(妹)など存在しないだろ!」と大きな顔をしたエアダブリンを1度でも見てみたかったですね。