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『レジェンドを超えた男』三浦皇成騎手
〜苦難の末に掴んだ1000の勝ち星、その先には〜

競馬史に新たなページ:三浦皇成の躍進


三浦騎手1000勝のイメージ画像

皆さんは、日本人騎手といえば、誰を思い浮かべますか?

おそらく競馬をよく知らない方も含め、大半の方は武豊騎手と答えるのではないでしょうか。
武豊騎手は、日本競馬史に燦然と輝く、ありとあらゆる記録を達成されているレジェンドジョッキーですね。
JRA最多勝利にG1最多勝利、重賞最多勝利など、どれも桁違いな記録のため、この先誰も記録を破ることはできないとまでいわれていました。

しかし、そんな武豊騎手が持っていた記録を塗り替えた騎手が存在します。
それが三浦皇成騎手です。

そこで今回は、武豊騎手の最多新人勝利数を大きく上回った三浦騎手について、ご紹介していきます。

煌めく新人騎手現れる


三浦騎手は、今から約16年前の2008年3月にデビューしました。

前述の通り、三浦騎手といえば、武豊騎手がデビュー年に打ち立てた69勝を大きく上回る91もの勝ち星を挙げ、21年ぶりに最多新人勝利数の記録を塗り替えました。
また、デビュー年に重賞初制覇も達成し、翌年2月には史上最速となる通算100勝もマーク。
レジェンドの記録を大きく塗り替えたことで「若き天才現れる」などと謳われ、一気に知名度が上がった三浦騎手。

この新記録樹立は、もちろん三浦騎手の騎乗技術もありますが、師匠である河野通文元調教師の貢献も多大であったことは間違いありません。

河野元調教師は、三浦騎手に対し「最後の弟子」と公言。とにかく勝たせるために「いい馬に乗せてやってほしい」と他の厩舎に頭を下げて回っていました。

その師匠が弟子を思う献身的なバックアップもあり、三浦騎手はレジェンドを超える記録を樹立したのです。

低迷する若き騎手


次に競馬ファンが三浦騎手に対して期待したのは、もちろんG1初制覇でした。

しかし、デビュー2年目の年にタレントほしのあきさんとの熱愛が報道され、師匠と弟子の間に確執が生まれます。その後、三浦騎手はフリーへの転身を余儀なくされました。

そして、デビュー年の91勝を境目に成績は急降下。
その成績を見てみますと、2年目は78勝、3年目以降も46勝、67勝、77勝とデビュー年の勝ち星を上回ることはありませんでした。

それは騎乗停止処分や落馬負傷などが相次いだことが影響したかも知れません。

特に2010年1月11日に中山競馬場で行われた第4レースでは、ノボプロジェクトに騎乗した際、内ラチ沿いに激突する大きな斜行にて、後続馬9頭が落馬するJRA史上最大級といわれる大事故を招き4日間の騎乗停止処分を受けたことは三浦騎手にとっても大きな出来事だったと思われます。

不撓不屈の男


それでも2011年9月にタレントのほしのあきさんと結婚を機に勝ち星を積み重ね、デビュー7年目となる2014年12月17日には、ディアドムスに騎乗して全日本2歳優駿を勝利。地方G1初制覇を成し遂げました。
さらに翌2015年には通算500勝も達成し、順風満帆の騎手人生を送る中、残すは中央G1初制覇と期待されました。

しかし、悲劇は2016年8月14日の札幌競馬場で起きます。

それは第7レースで騎乗していたモンドクラフトが競走中に故障を発症し転倒。三浦騎手は地面に投げ出されて大怪我を負ってしまうのです。

  • 左第4~12肋骨(そのうち3本は肺に刺さっていたそうです)
  • 左肋軟骨の骨折
  • 左副腎損傷
  • 骨盤骨折(5ヶ所)
  • 肺挫傷

これを見るだけで想像を絶するほどの重傷だと分かります。

特に骨盤の骨折が深刻だったため、医師からは「命があって良かった。これから歩けるように手術していきましょう」と告げられたといいます。

入院中のイメージ画像

この先、騎手人生を歩めなくなるかも知れない――そんな絶望の中でも三浦騎手は決して諦めませんでした。
何度も手術を重ね、1年後に同じ札幌の舞台で見事、復帰を果たすのです。
まさに不撓不屈の精神そのものですね。

それから3年後の2019年には、自身初となる年間100勝を達成します。

しかし、同年には、再びの落馬負傷に見舞われるなど、デビューから3年目以降は運にも突き放された感は否めません。

1000勝到達


騎手のバロメーターとして1000勝という1つの区切りがあります。
三浦騎手は、2023年5月13日に999勝を挙げ、その大台にリーチを掛けました。

しかし、そこから、まさかの71連敗。そのうち1番人気馬には7回も騎乗しましたが、勝つことはできませんでした。

そんな逆境を乗り越え、2023年6月24日の東京5Rの2歳新馬戦にて史上42人目となる1000勝を達成します。999勝から実に72戦目のことでした。

ただ、これだけの大怪我を2度も経験している中で、おそらく今でも身体には心配の種があるに違いありません。そんな中で偉業を達成した三浦騎手の不撓不屈の精神には驚かされます。

G1に縁がないも…


名騎手の1つのバロメーターともいうべき1000勝を達成した三浦騎手。
しかし『史上初の中央G1レース未勝利のまま、通算1000勝を達成した騎手』という記録も付随します。

これは決して不名誉な記録ではありませんが、『武豊超え』というあまりにも鮮烈なデビューを果たし、多くのファンから注目され続けている三浦騎手だからこそ、不名誉と嘆かれても仕方ないかも知れません。

そんな三浦騎手は、999勝を目前に控え迎えた2023年のNHKマイルC(G1)にて、2歳王者のドルチェモアに騎乗しました。

三浦騎手999勝でのNHKマイルのイメージ画像

一部のファンは、中央G1初制覇からの1000勝達成に胸を躍らせましたが、夢幻に終わってしまいます。
なお、このレースで優勝を果たしたのは、同期の内田博幸騎手でした。

夢破れ一番悔しい思いをしているはずの三浦騎手でしたが、検量室では自分のことのように喜んでいたそうです。
そんな素晴らしい人間性を持つ三浦騎手。2024年には“不名誉”を払拭できるようG1の勲章を手に入れてもらいたいと切実に思いますね。

春から夏の三浦騎手は狙い目?


最後に三浦騎手の通算成績ですが、勝率が9.0%、連対率18.7%、複勝率は27.4%となっています。※2008年〜2022年

さらに月間別の成績でみてみると、以下の通りとなります。

月度 勝率 連対率 複勝率
1月 7.8 16.5 25.7
2月 8.2 17.0 25.2
3月 8.8 16.3 24.1
4月 9.2 17.1 26.0
5月 8.6 19.9 28.3
6月 10.5 20.8 32.3
7月 10.5 23.6 34.2
8月 10.2 21.7 31.3
9月 9.3 18.5 28.0
10月 7.8 18.4 25.5
11月 8.5 16.9 24.1
12月 8.1 16.7 24.7

表の赤字部分が通算成績よりも上回っている数字です。
これは身体の影響があるのかも知れませんが、明らかに春先から秋手前までの期間がもっとも活躍しているといえそうです。

特に7月は勝率10.5%、連対率23.6%、複勝率34.2%と1年間で1番よい成績を挙げている月でもありますので、夏の三浦騎手は狙い目かも知れません。

そして、今年も高松宮記念(G1、3月24日中京競馬場)を皮切りに春のG1戦線がスタートします。

現時点でその高松宮記念に三浦騎手は、東京新聞杯(G3)で2着に好走したウインカーネリアンに騎乗予定です。これまで、その相棒とは16回コンビを組み8勝、うち重賞を2回勝つなど相性が良いです。

電撃のスプリント戦とあってウインカーネリアンの戦績を見ると伏兵馬扱いになりそうですが、何とかチャンスをものにしてほしいですね。

まとめ


三浦騎手のイメージ画像

今回は『レジェンドを超えた男』三浦皇成騎手についてご紹介しました。

騎手という職業は、常に死と隣り合わせです。そんな中で2度も大きな落馬負傷から復活を果たした三浦騎手。
実は、ジョッキーを目指していた頃の三浦騎手にこんなエピソードがあります。

それは、三浦騎手が小学5年生の時、電車で1人の女性の孫娘に席を譲りました。
奇遇にもその女性は「オメガ」の冠号で知られる馬主の原禮子さんでした。
当時、左手を怪我していながらも席を譲る三浦騎手に感心した原オーナー。

その場で騎手を目指していると知った原オーナーは、将来騎手になったら乗ってくれるように言ったそうです。
この時、三浦騎手は自分の名前を伝えていませんでしたが、晴れて騎手になった後、原オーナーのもとへ挨拶に行きます。
すると、原オーナーは驚くと同時に三浦騎手のバックアップを約束しました。

三浦騎手が初重賞を制したフィフスペトルを管理した加藤征弘調教師に三浦騎手を紹介したのは原オーナーです。
また、2009年2月には、原オーナーの所有馬オメガリトルスターを初勝利に導いています。
幼い頃から人柄の良さをみせた行動は、若手から中堅騎手になった今でも好青年に変わりありません。
そんな三浦騎手には、1日も早くG1ジョッキーの仲間入りを果たしてほしいですね。